ソラマメブログ

2008年11月23日

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2008年11月23日

ヘイドン・ホワイトの『メタ・ヒストリー』は興味深い。

「ヘイドン・ホワイトの『メタ・ヒストリー』は歴史家が自覚的に修辞学を駆使したのではなく、彼らの無意識、実際には行なっているにもかかわらず考えていなかった技法を分析したという点できわめて興味深い。」
多木浩二「実践のセミオティーク」『現代思想』1987 p.79
  
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2008年11月22日

物語は歴史を組織化する隠喩である。

「物語は歴史を組織化する象徴的隠喩である。……問題の焦点は、物語の実践的な語りが、時間的隠喩として、はじめて「歴史性」を開示するという点にあるように思われる。」
河本英夫「物語と時間化の隠喩」『現代思想』p.80 1987
  
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2008年11月21日

auctorの第三の意味、頭目、指導者の意味

「auctor[ラテン語。フランス語のauteur、英語のauthorに相当]なる概念は創始者がもつ二つの概念を含む(……)。一つは生殖源、父、先祖のそれであり、他は発明者、創造者、作者のそれである。そしてこの二つの概念からauctorの第三の意味、頭目、指導者の意味が出て来るのであり、われわれが「権威」というときいつも連想するのはこの意味である。」
ケネス・バーク『動機の文法』[1945](森常治訳)晶文社 1982 p.140
  
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2008年11月20日

肝心なことは、見ずに認めることじゃ。

「見てのうえなら、これほど明らかな事実を認めることは意味をなさぬ。肝心なことは、見ずに認めることじゃ。」
セルバンテス『ドン・キホーテ』
  
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2008年11月19日

『冥土』 高い、大きな、暗い土手が、

「高い、大きな、暗い土手が、何処から何処へ行くのか解らない、静かに、冷たく、夜の中を走ってゐる。その土手の下に、小屋掛けの一ぜんめし屋が一軒あった。」
内田百間『冥土』冒頭
  
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2008年11月18日

花田清輝 『海舟座談』のなかで、勝海舟は、しきりに

「『海舟座談』のなかのあちらこちらで、勝海舟は、しきりに「機」という言葉をつかっている。たとえば「それ御覧ナ、機があるのだもの、機が過ぎてから、なんといったって、それだけのことサ」といったふうに、である。」
花田清輝「「慷慨談」の流行」冒頭
  
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2008年11月17日

テレビを「流れ」で考える方が生産的である。

「テクスト間相互関連性という概念は、テクストは境界を有するという考えを問題にし、内と外という二分法に疑問を投げかける。テクストはどこから「始まり」、どこで「終わる」であろう?「テクスト」とは?「文脈」とは?テレビという媒体は、この論点を浮かび上がらせる。テレビを、一連の離散的なテクストとしてよりは、レイモンド・ウィリアムズが「流れ」と呼んだ概念で考える方が生産的である。」
ダニエル・チャンドラー「初心者のための記号論」
  
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2008年11月16日

それらが志賀直哉の創作衝動を促す刺戟のひとつに

「確かジイドだつたと思うが、昔は文學・音學・繪画かどが互いに影響しあつていたが、現代では各自がそれぞれ専門的に分化してしまつて、制作面において影響しあうなどということは、全くなくなつてしまつたという風なことを述べていた。この現象はわが國の現代文學を顧みても眞実のように思える。しかし、それは飽くまで制作の面においてだけであつて、出来上つたものからの影響は別であろう。初めに書いたように、志賀文學には陶磁器や繪画についての記述が多い。ということは、必然的に、志賀直哉はそれから美意識になんらかの影響を享けるなり、精神的休息を覺えるなりしているに違いない。同時に、それらが志賀直哉の創作衝動を促す刺戟のひとつになつていることも確かである。」
淺見淵「芸術主義の 廢について」4段落目
  
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2008年11月16日

大事なのは、くり返し読むこと

「大事なのは、ただ読むことではなく、くり返し読むことです。」
ホルヘ・ルイス・ボルヘス(篠田一士訳)「疲れた男のユートピア」『砂の本』集英社 p.104 1975
  
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2008年11月14日

あなたの魂は円の中心にとどまる脚、

「あなたの魂は円の中心にとどまる脚、
もひとつの脚が遠くさまようと
身を倒し、その便りに耳傾け、
それがもどるにつれて、身を起こす。

あなたと私はそうしたもの。私は
ひとつの脚として、曲がって走るが
あなたさえしかと動かねば、円は正しく描け、
はじめのところにもどるのだ。」
ジョン・ダン「別れのことば、嘆くなと告げて」
  
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2008年11月14日

あなたの魂は円の中心にとどまる脚、

「あなたの魂は円の中心にとどまる脚、
もひとつの脚が遠くさまようと
身を倒し、その便りに耳傾け、
それがもどるにつれて、身を起こす。

あなたと私はそうしたもの。私は
ひとつの脚として、曲がって走るが
あなたさえしかと動かねば、円は正しく描け、
はじめのところにもどるのだ。」
ジョン・ダン「別れのことば、嘆くなと告げて」
  
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2008年11月14日

引用と呼ぶことは、著しくわれわれの言語感覚を害する。

「少なくとも特定のテクストの持ちうる間テクスト的関係について、それを引用と呼ぶことは、著しくわれわれの言語感覚を害する。何故なら、それは意志的な行為の結果でもなく、また引用されるものが既存のものであるという自明の規定にも違犯しているからからである。」
佐々木健一「引用をめぐる三声のポリフォニー」<現代哲学の冒険>5 『翻訳』岩波書店 1990 p.152
  
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2008年11月12日

誰の子でもないので、その後誰の子であることもできず、

「刻み込まれたその瞬間すでに誰の子でもないので、その後誰の子であることもできず、(……)その出自を認定できない」
クリストファー・ノリス『デリダ−もうひとつの西洋哲学史』1987 (富山太佳夫・篠崎実訳)岩波書店 1995 p.35
  
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2008年11月12日

ネルヴァルはスカロンに多大な影響を与えた?

「……間テクスト性、こちらの方はクロノロジックな制限には無関係である。たとえばこんなふうに言ってもよいだろう(また、これからはそういう言い方がされるようになるだろう)。いわく、ネルヴァル[1808-55、フランスの詩人・小説家]はスカロン[1610-60、フランスの作家]に多大な影響を与えた、と。」
K.グンデルセン(土田知則訳)
Karin Gundersen,Textualite nervalienne;remarques sur la lettre de l'Illustre Brisacier,Avhandling for den filosofiskedoktorgrad,Universitetet i Oslo,1980,p.58
  
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2008年11月12日

知性の快楽こそは、肉体の快楽よりも不潔で、いっそう純粋

「知性の快楽こそは、肉体の快楽よりも不潔で、いっそう純粋で、その刃がけっしてさびつかない唯一のものです。」
ジョルジュ・バタイユ「わが母」
  
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2008年11月12日

人間は歩行を模倣しようとして脚とは似ても似つかぬ

「人間は歩行を模倣しようとして脚とは似ても似つかぬ車輪を創造した。こうして人間は自分でも知らずにシュールレアリスムをつくりだした。」
ギョーム・アポリネール『テイレジアスの乳房』序文 1917
  
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2008年11月12日

細いが、細すぎず、適度なふくらみをもった軽い脚。

「細いが、細すぎず、適度なふくらみをもった軽い脚。二枚貝の内側のように、艶やかな膝の裏。あまりに鮮やかだったので、着ていた服の色さえ覚えがないほどだ。」
安部公房『箱男』
  
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2008年11月12日

イタロ・カルヴィーノ古典とは

「古典とは、最初に読んだときと同じく、読み返すごとにそれを読むことが発見である書物である。」
イタロ・カルヴィーノ
  
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2008年11月12日

R博士の死顔があまりに怖ろしかったからである。

「最初にその部屋へ入った婦人は金切声をあげて立ちすくんだ。
R博士の死顔があまりに怖ろしかったからである。」三島由紀夫『美神』末尾
  
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